2005年09月20日

【ゴンザの独り言EX】新幹線探訪記

先日ゴンザは新幹線に行ってきました。

「行ってきた」じゃなくて「乗ってきた」だろう、と思ったあなた。いえいえ、これでいいのです。ゴンザはまさに「新幹線」に行ってきたのです。

鉄道ファンには有名な話らしいですが、静岡県には「新幹線」という地名があるのです。場所はJR東海道線「函南駅」のすぐ近く。歩いて10分くらいのエリアです。正式な地名としては「静岡県田方郡函南町上沢 字 新幹線」になります。

函南駅に降り立ったゴンザは、「新幹線」を目指して歩きます。そして……いきなり道に迷いました。
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目的地まで1度しかない分かれ道を見事に間違えました。自分の方向音痴っぷりに嫌気がさします。

しかしこれも神の思し召し。ウォーキングを楽しめということなんだ。鳴り止まぬ蝉しぐれ。ゆれる稲穂。走り去る軽トラック。のどかな夏の風景じゃないか。暑さを忘れるね。疲れてなんかいないし。

自分自身を不器用にだましつつ、結局は炎天下を3キロ程歩き倒した末に、目的地にたどり着きました。ご覧下さい。ここが「新幹線」です。

新幹線公民館看板
新幹線公民館。非常に立派な看板です。

新幹線公民館玄関
この写真ではわかりませんが、左側にある看板には「新幹線区自主防災会本部」と書いてあります。どうやら、ここを上沢の「新幹線区」と呼ぶのが一般的なようです。

新幹線区全図
「新幹線区全図」。これは新幹線の路線図でも、開通工事予定表でもなく、ふつうに町の案内板です。

新幹線消火器
新幹線区の消火器です。まるでJR東海の所有物のように見えます。

この地区にはバス停が2つあるのですが、
幹線上 幹線下
「新」の抜けた「幹線上」と「幹線下」という名前。残念です。何が残念なのかはイマイチよくわかりませんが、残念です。この土地の方にとってはひょっとすると「幹線」と略すのが一般的なのかもしれません。

なぜこのような地名がついたかといいますと、やはりその由来はズバリ「新幹線」。新幹線の建設に携わった人たちの居住区があったのだそうです。

夢の超特急の開通に命を燃やす男たち。新丹那トンネルは、俺たちが、開く。

そんなプロジェクトXな舞台だったと想像すると、胸が熱くなります。


なお、由来などの詳しい事情については「JRおでかけネット」のコラムが詳しいので、そちらをご覧下さいませ。くれぐれも「なーんだ。結局この記事をパクってんじゃん」などと言わないこと。現地を自らの足で訪ねた私の努力を評価して下さい。

※ゴンザはこのブログのほかに、もう一つのブログにライター参加しています。違う名前で書いてますが、同一人物ですので、そっくりな記事を見かけても「無断転載だ! 盗作だ!」などと騒がないでくださいませ。
posted by ゴンザ at 09:55| 静岡 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 「ゴンザの独り言」EX | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月12日

【日記】スポーツと性格

子供の頃やっていたスポーツって、やっぱりその後の性格形成に及ぼす影響が大きいよなあ、と最近よく考えます。ゴンザはいわゆる「体育会系」「文化系」で分けたら確実に「文化系」の人間で、「体育会系」のノリにどうしても馴染めない人間です。それでも幼稚園から小学校5年生まではスイミングクラブに通っていて、まあまあのジュニア選手でありました。

つまりゴンザにとって、「子供の頃やっていたスポーツ」というのは水泳であるわけです。

かれこれ20年以上が経過し、ゴンザはサラリーマンをやっています。会社というのは、色んな人が色んな役割を担うところですので、自分がどういう人間か、何が向いていて何が向いてないかということを、日々実感させられる場所です。自己分析をせざるを得ないんですね。

そこで感じるゴンザ自身の特徴は以下の通り。
【長所】
・計画性がある。
・冷静で論理的である。
・一人でコツコツ進めていく仕事が得意。
・粘り強い。

【短所】
・チームプレイはあまり向いていない。
・人の説得や駆け引き、交渉は苦手。
・想定外の突発的事態に弱い。
・すばやく何かを仕上げることができない。

で、この傾向を見てみると、完全に水泳というスポーツで培われた性格といえるんですね。

まず、水泳というのは極端なまでの個人スポーツです。競争相手が自分より前を泳いでいるか、後ろなのかということすらよく分かりませんから、陸上競技よりも競技中は「独り」です。相当なハイレベルにならない限り、駆け引きなどが生まれる余地もありません。ですから「独りでコツコツ」が得意になり、「駆け引きやチームプレイは苦手」になるんですね。想定外の事態に弱いというのも、相手に意表をつかれる、というのに慣れていないからでしょう。

次に、理屈のスポーツです。それこそ流体力学などの理屈によって、もっとも効率のいい腕のかき方、足の蹴り方を探求し、それを実現する身体を作り上げる、というもの。トップ選手はともかく、普通のレベルであれば、「理論」や「理屈」の価値が、「気合」や「気持ち」を凌駕します。緻密な分析や、冷静な理論立てというのは、ここで培われているわけです。

そして、計画性のスポーツ。体作りや練習メニューも計画的にしなければなりませんが、レースを泳ぐときも、計画がもっとも重要です。どのようなレース立てにし、どのようなペース配分でいくか。陸上のスポーツと違い、何かあったら溺れる可能性があります。計画ミスが命に関わるわけですから、綿密な計画を立てざるを得ません。ですから計画的な性格になるんですね。

最後に持久力のスポーツ。水泳は短距離とされる50mの選手であっても、その身体は基本的に「遅筋」と呼ばれる持久力の筋肉で構成されています。スポーツ選手の中で、マラソン選手とくらべても極端に持久力型の肉体をしているのが水泳選手です。ですから、瞬発力は全くない代わりに、粘り強さはあることになります。

ううむ。子供の頃イヤでイヤでたまらなかった水泳が、こんなにもゴンザの性格形成に大きな影響を及ぼしていたことに気づき、ちょっとビックリです。

誰かと付き合ってみて「あれ?」と思うようなことがあったら、その人が若い頃やっていたスポーツを聞いてみるといいかもしれません。その人の性格を知る上での参考くらいにはなるでしょう。少なくとも「血液型性格診断」や「星座性格診断」よりは、根拠のある診断方法なのではないでしょうか。
posted by ゴンザ at 17:03| 静岡 ????| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月09日

【文芸】ゴザンス800字『映画の娘』

ゴンザのゴザンス投稿作品を振り返るシリーズの第11回目です。ゴンザとゴザンスの関係について知らない方はこちらをご覧くださいませ。

今回は800字小説。編集部から提示された3つのお題を全て使って、一編のショートショートを書き上げるものです。この時の3つのお題は「水曜の朝/映画館で/お父さんが」というものでした。ごちゃごちゃした解説は後に回し、さっそく本編行きましょう。

【800字】映画の娘 (2003-11-03 17:14:28)
text: ゴンザ

<お題:水曜の朝/映画館で/お父さんが>

客席に足を踏み入れて、喜乃は効きすぎの冷房に身震いした。羽織るものを持ってくるんだった、と後悔しながら、座席に身を沈める。同じ列に他の観客はいない。水曜朝の映画館、空いているのは当たり前だ。

手元のチラシに目を落とす。「平日午前の特別企画・珠玉の小品をあなたに」。
1ヶ月の間、曜日ごとに決められた短編が上映される。喜乃の目は、水曜の作品の主演女優名に引き寄せられた。

山本静乃。喜乃の母。

母が若い頃女優だったことは聞いていた。だが、子供だった喜乃がそのことを尋ねても、静乃は話してくれなかった。父のことを含めて、母は自分の過去を全く娘に語ってくれなかった。

逆らいがたい空気をふわりと発しながら、
「どうでもいいじゃない、そんなこと。」とおっとり微笑む母の姿。
それはまるで白い炎のようだった。

母の過去は、母が亡くなってから喜乃のもとに集まるようになった。10代から舞台で活躍していたこと。実家とは断絶状態だったこと。今の喜乃と同じ歳に1本の映画に出演し、それを最後に引退したこと。そして喜乃が生まれたこと。

「相手はその映画の関係者に違いねえ、って親父が怒鳴ってたよ。」葬儀で初めて会った叔父は、へらへら酒を飲みながらそう言っていた。

そして今、その映画が喜乃の前で動き出そうとしている。父が映っているかもしれない映画。父が撮ったのかもしれない映画。自分はここに父を求めているのだろうか。

喜乃自身にもよくわからなかった。

銀幕が光る。まぶしさに目を細めた喜乃の前で、女が振り返った。彼女はおっとりと笑った。
あの白い炎を身にまとって。

お母さん……。

母は、美しかった。母がまとう炎の美しさを、この映画は十分にとらえていた。フィルムが母を愛していた。

……ああ、そうか。
そうだね。この映画が私のお父さんなんだね。私はお母さんとこの映画の間に生まれた娘、喜乃なんだね。

銀幕の母は笑った。

「どうでもいいじゃない、そんなこと。」

【終わり】

<自分で解説>
えーと。ゴンザにしてはめずらしく、変なトリックや技巧は使わずに、お題に正面から取り組んだお話です。どうも書いてて照れるんで、あまりこういう雰囲気の作品は作らないんですが。

けっこう編集部の評価は高かったらしく、質の高い作品が多かったこの時の募集で、第一席ともいうべき「公式メルマガへの全文掲載」に採用してもらえました。

ただ、書いた時点でこの話を自分が気に入っていたか、というとそうでもなく、よくわかんないなあ、と思ってました。けっこういいんじゃないか、と思えるようになったのは、メルマガに載った後、自分で何度も読み返してみてからです。

全体的な雰囲気はこれを書くちょっと前に読んだ『光の帝国』(恩田陸)の影響を受けているような気がします。「映画館で・お父さんが」というお題を見て「お父さんが映画を見る」ではなく、「お父さんが映画製作関係者だった」という設定にしたのは、この本の「おおきな引き出し」からの発想だったのでしょう。

お題の「お父さん」を直接登場させないで影の存在にするというあたりが、やっぱり変なひねり方をする私らしい設定ですね。むしろ話としては「お母さんが」になってます。

なんとなくこのお話はちょっと時代がかった感じにしてます。フィルムもカラーより白黒のイメージ。原節子さんが出てくるような。登場人物の名前もあえて古風なものをつけています。静乃と喜乃。

そして一つ隠れ要素が。喜乃は「よしの」と読んでもらってよいのですが、その裏にあるのは「キノ」という読み方。ドイツ語の「Kino」。英語で言うと「Cinema」。つまり「映画」です。

娘に「映画」という意味の名前をつけた母の心は?

まー「そんなのわかるか!」という暗示なのですが、こういう言葉のイメージを重ね合わせていく遊びが好きなんですね、私は。

ストーリー的なことで言えば、800字だけで「母の一生」を多少なりとも描き出すために苦労した覚えがあります。凛とした印象を作り出すための「白い炎」。実家との関係を端的に表すための「葬儀での叔父さんの言葉」。母の人生観を垣間見せるための「どうでもいいじゃない、そんなこと。」

短い言葉だけで、いくつかの複数のイメージをわきあがらせるように工夫することの難しさを感じたお話でした。そして、こういう文学っぽいのも、自分に書けないわけではないんだな、と自分自身を少し意外に思ったお話でした。
posted by ゴンザ at 20:48| 静岡 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 文芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする