2010年06月10日

【旅行記】高知 〜はりまや橋〜

ちょっと前の話になるのですが、龍馬さんで盛り上がる高知に行ってきました。
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静岡⇒岡山を[新幹線ひかり]、岡山⇒高知を[特急南風(なんぷう)]です。朝早かったこともあって、[南風]ではぐうぐう寝てしまい、気づいたときには高知の平野部に入っていました。

高知へ来た目的は3つ。
1つめはやはり龍馬さんの足跡をたどること。
2つめはPerfumeライブツアー千秋楽in高知に参加すること。
そして3つめは……「日本がっかり三景」を制覇することです。

「日本がっかり三景」とは「日本三景」の向こうを張って、「名前はよく知られているのだけれど、期待して実際行ってみるとアレッと思ってしまう肩透かしな三大観光名所」のことです。」

この三つがドコとドコとドコなのか、諸説あるのですが、一番有力な説をご紹介すると、まず「南のがっかり」が「沖縄・守礼門」。

私は学生の頃に家族旅行で訪れています。守礼門の近くで「琉球の民族衣装を着て写真を撮りませんか〜」と商売をやっていたことしか覚えておらず、守礼門自体の印象はまったく残っていません。ということは、期待して行ったら、がっかりしたのかもしれません。

つぎが「北のがっかり」である「札幌・時計台」。ここには2009年の9月に行ってきました。うんうん。「北海道の時計台」と聞いてイメージするような、広い丘の上にすっくと立つ時計台ではなく、大都会札幌のビルの谷間にちょこんと申し訳なさげに存在する小さな建物。事前に聞かされてないと、がっかりするかもしれません。ただ、私は「水曜どうでしょうマニア」なので、時計台がどんなものか、「絵はがきの旅2」でよーく予習してしまったため、それほど失望しませんでした。

要は三景のうち二景は回ったものの、意外とがっかりしなかったのです。そこで最後のひとつ「西のがっかり」に望みを託すことにしました。

それが「高知・はりまや橋」です。

はりまや橋はJR高知駅から歩いていける大通りにあります。こちらです。
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……おお……なんだか、ぴっかぴかの朱塗りで真新しい感じ。プラモデルみたい。歴史を感じさせない、なかなかのがっかり具合です。やった! がっかりしたぞ!

ちなみにはりまや橋は、よさこい節の「土佐の高知のはりまや橋で、坊さんかんざし買うをみた〜♪」という唄で有名ですが、その物語はあまり知られていないように思います。

よさこい節の悲恋物語は、俗に「純信お馬の話」と呼ばれます。

純信が竹林寺の住職=坊さん。お馬さんは鋳掛屋(なべ底などの金属を繕う職人)の娘。ということで、「土佐の高知のはりまや橋で、坊さんかんざし買うをみた〜♪」の唄を聞くと「ああ、純信さんがお馬さんに恋をして、プレゼントのためにはりまや橋ちかくの店でかんざしを買った。そこを誰かに見られ、はて坊さんに女がいるわけもなし、まさか自分で刺すわけもなし、おかしなことよなと噂になってしまったんだな」と思いがちです。

実際、そのように解説しているところも多いですし、事実に基づくとは言え、「物語」ですから本当のところはわかりません。が、実際はもうちょっと複雑な人間模様があったと言われているようです。


時は幕末間近の安政年間のはじめ。お馬さんは高知の町でかなり目を引く小町娘。純信は竹林寺の立派な住職。お馬は女手のない寺に、母の手伝いで洗濯物を届ける役目をしていました。そして通い続けるうちに、お馬からか純信からか、互いを憎からず思うようになります。

ちなみに当時、お馬が十七、純信が三十七だったそうです。二十歳差のふたりの間に生まれた、さまざなま意味での禁断の恋。

しかし美形のお馬のこと、他にも想いを寄せる者はいました。それが慶全。純信の部下にあたる竹林寺の修行僧です。はじめはお馬とこの二十五歳の僧侶慶全とがいい仲であったようですが、お馬の心は次第に純信に移っていきます。

恋しい人を振り向かせようと、慶全ははりまや橋近くの橘屋という小間物屋でかんざしを買いました。しかしその姿を見られたことで噂が広まり、先のようなはやし唄まで歌われるに至って、純信は慶全を竹林寺から追放します。恋敵としての警戒心があったのかもしれません。

慶全はもちろん面白くありません。そこで「かんざしを買ったという坊さんは私じゃない、実は純信だ!」と触れて回ります。それによって取調べを受けた純信は謹慎、お馬は竹林寺への出入りを禁じられました。

恋に悩む純信。しかし、彼はついに意を決して安政2年年5月19日、お馬をつれて駆け落ちをします。逃げるふたり、追う土佐藩の役人たち。目指すは讃岐の国、悲しい恋の道行きです。

くにざかいを越え、讃岐琴平の宿までたどり着いたふたりでしたが、そこでとうとう追っ手につかまり、高知まで連れ戻されました。評定の結果、三日間さらし者の刑を受けた上、純信は国外追放、お馬は安喜川以東へ追放となりました。以来、ふたりの人生はべつのものとなりました。

ご存知、土佐の悲恋物語「純信お馬」でございました……。


まあ、要するにかんざしを買ったのは純信じゃない、という説のほうが、「お話」としては有力なんだそうですよ。

蛇足ですが、純信はその後伊予の国で寺子屋の師匠、晩年は和尚として暮らしました。お馬は腕のいい大工に嫁ぎ、跡継ぎと共に上京。明治の東京で最期を迎えたそうです。お馬さん、「あんときゃ、あたしも燃えるような恋をしたネェ……」とおばあさんになってから語ったかもしれません。

さて、観光スポットとしてのはりまや橋に話を戻して、と。

地元の方に教えてもらったのですが、はりまや橋は実は4つあるそうです。1つはもちろん、この観光用に作られた橋。
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真新しい感じがするのも当たり前で、これは平成10年にこのあたりを再開発するに当たって全国から寄せられた「はりまや橋のイメージ」を元に作られたものなのだそうです。

2つ目は車道としてのはりまや橋。
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この写真はちょっと場所が違うんですが、こうした風情ある路面電車が「はりまや橋」の上を通っています。

3つ目は明治時代の再現橋。
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1つ目の朱塗りの橋とは車道をはさんで向かいに設置されています。こちらに目をとめる人はほとんどいないようです。

最後の4つ目は、なんと地下にあります。気をつけて見ないと分からないのですが、1つ目・2つ目・3つ目のはりまや橋の下をくぐるように地下広場があって、そこに一番古い欄干が展示されているのです。
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こりゃ盲点! ここまで見ないと、はりまや橋を見たとは言えません。

ところではりまや橋近くにはもうひとつ有名スポットがあって、それは「からくり時計」です。ジャスト時間に高知名物を繰り出す時計があるんですね。しかし……
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思いっきり、見逃しました。からくってません。こちらで

動画を見られますのでどうぞ。

最後にキティラーの方に朗報。はりまや橋の角にこんな壁画があります。
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はりまや橋とキティちゃん。大きな絵です。

からくり時計は見逃しましたが、はりまや橋、堪能しました。これにて、日本がっかり三景、コンプリート!

<ゴンザ>


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posted by ゴンザ at 08:01 | 静岡 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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