2010年07月28日

【旅行記】高知 〜高知城〜

だいぶ間が開いてしまいましたが、土佐旅行記の続きです。龍馬さん誕生の地を経由してから、高知城に行ってきました。
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龍馬さんの生地は、ずいぶん高知城の近くだったんですね。

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近くにありながら、ただ眺めるだけで登城もかなわない郷士の身分。多くの龍馬を主人公にした物語で、この頃の経験が「身分の上下をなくした民主社会」への志を抱かせたとするのは、間違いではない気がします。

民主主義に感謝しながら、登城。
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かろうじて残っていた桜。

そして。
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天守閣です。

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いいですねえ。

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天守から見下ろして。

この高知城は建設当時の姿を残す数少ない城のひとつなのだそうです。また、山内一豊の手によるものなので、掛川城に良く似せて作られたとされており、掛川城を再現するに当たっては、高知城を「逆コピー」したとのことです。

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山内一豊と、

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妻、お千代。

「内助の功」として有名な夫婦です。この夫婦のサクセスストーリーは『巧名が辻』

に詳しいです。

この話、一介の愚直な武士でしかなかった山内一豊が、妻お千代の献身的な努力と才能によって、一国の大名になるまでを描いているのですが、ハッピーエンドとは言えない終わり方になっています。土佐一国に封ぜられた山内一豊は、長宗我部の家臣であった土佐の武士たちの荒々しさに手を焼き、だまし討ち同様にその反乱を武力で鎮圧してしまいます。妻お千代は、こんなことををするために、殿を大名にしたのではなかった、と深く悲しんだと言われます。

山内家が土佐に連れて行った元からの家臣を「上士」、長宗我部の家臣を「下士」とする厳しい身分差別の礎を築いてしまったのは山内一豊なのです。龍馬を生涯苦しめた身分差別を作った山内家。こうして高知城内に銅像が残ってはいますが、高知の人たちにとって山内家はどんな存在なんでしょうか? 龍馬さんを英雄を見るならば、山内家はやっぱり悪役になってしまいますよね。

複雑な思いで、高知城を見上げました。
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さて、お土産屋のおばちゃんと話をしていたら、「夜になると今、お城はライトアップしててきれいだよ!」という情報をゲットしたので、日が暮れてからもう一度行ってみました。

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おー。きれいだ。

この時は、花×書×光のコラボレーション企画をやっていて、
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とっても幻想的でした。

やっぱり歴史と伝統が息づいている街はいいですね。こういうところにも品を感じます。

次は、桂浜、です。

<ゴンザ>

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posted by ゴンザ at 07:00 | 静岡 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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