2011年02月10日

AKB48のアイロニー

最近、AKB48に興味が出てきました。

と言っても、アイドル・歌手・タレント・女優などとしての彼女たちに興味があるわけではなく、現代経済においてAKB48の持つ意味に、です。

AKB48は、秋元康という希代の商売上手によって生み出された悪辣な商法である、という論調がよく聞かれます。でも、本当にそうなんだろうか、と私は疑問をもったのです。AKB48がここまで浸透していることには、そんな「悪辣な商法」以外の何かがあるのではないかと。

話をがらりと変えましょう。






私は20世紀が貨幣本位の時代、金がすべての社会であったと考えています。

例えば私が、親戚の伯父さんから1万円札をもらいます。私は喜びます。周りの人も、いいなあ、感謝しなよ、といいます。伯父さんも、私も、周りの人も1万円札に価値があると思っています。

が、実は1万円札それ自体には価値はありません。これは無人島に行ったときを考えれば簡単です。無人島で、目の前に1万円札とパン一斤を並べられて「どっちかひとつだけ取っていい」と言われたとき、あなたはどうしますか?

1万円札をとったあなた。それで何をするつもりですか? たしかに日本の街中で1万円札を持っていれば、パン100斤と交換できるでしょう。が、ここは無人島。1万円札は単なる精巧な紙っきれです。パン一斤のほうがはるかに価値が高いですね。

ここから分かる事実は「貨幣それ自体にはまったく価値がない。貨幣は<それには価値がある>と社会の中で合意が出来たとき初めて、価値を認められる」ということです。

そもそもむかしむかーしの経済は、物々交換でした。

私は山で取ってきた果物を持っている。あなたは海で取ってきた魚を持っている。お互いにお互いのものが欲しい。では交換しましょう、とやっていた。

しかし、相手が持っているものを「欲しい!」と思っても、相手が自分のものを欲しがらなかったら物々交換は成立しません。自分が持っているもので欲しいものを手に入れるには、
Aさん)持っているもの:果物 欲しいもの:穀物
Bさん)持っているもの:穀物 欲しいもの:魚介
Cさん)持っているもの:魚介 欲しいもの:薬草
Dさん)持っているもの:薬草 欲しいもの:果物
こんな風な、奇跡的に利害が一致する一団ができたとき、やっとみんなが欲しいものを手に入れることが出来たわけです。

さすがにこんなことをいちいちやっていたら大変です。果物や魚が腐ってしまいます。

そこで便宜的に、あくまでも便宜的に生まれたのが貨幣です。

貝がらや石ころを貨幣に使っていたという古代の話を聞きますよね。今の私たちは「なんだってそんなものをお金に……」と思いますが、なんのなんの、今の貨幣だって偽造されにくいだけで、本質は貝がらや石ころと何も変わっていません。

りんご1個は貝がら3つ。魚1匹は貝がら5つ。穀物一枡は貝がら4つ。薬草1本は貝がら6つ。そのように取り決めることで、貝殻に一旦全部を変換して、交換の利便性を高めた。それが貨幣の本質です。

貨幣に価値は無い。価値があるのは実際の「もの」であり「技術」であり「知恵」であり「快楽」であり「労働」なのです。貨幣はその仲介をする使いっ走りでしかありません。

しかし20世紀は、その使いっ走りに人々が使いっ走らされた時代でした。実際には価値が無いのに、それに絶対の価値があるかのように、みなが貨幣を求めて奔走し、狂乱し、翻弄されました。

21世紀は「貨幣自体に価値がある」という幻想から、たくさんの人が脱却し始める時代だと私は考えます。様々なものが電子決済。銀行引き落としや、クレジットカード、電子マネー。数字があちこちに移動するだけなので、貨幣と価値の間に実はなんのつながりもないことが実感しやすいのです。……まあ、逆に実感しにくくなっちゃってる人もたくさんいるんですが。

さて、資本主義経済の中で、ほぼ絶対の原則とされているのが「我々は財やサービスを受け、それに見合った対価を払う」ということです。この対価は一般には電子決済であれ、現金であれ貨幣で支払われます。

が、この原則に沿わないのではないかと思われる行為がいくつかあります。列挙してもしょうがないので、ひとつだけ挙げます。

募金です。

私がコンビニの募金箱に100円玉を入れても、なにも手に入りません。普通ならパン1個が手に入るのに。これは資本主義経済の原則に反する行為です。

こう返す人がいそうですね。「私はよいことをした!」という快感、自己満足が得られるじゃないか。

そうです。それなんです。周りからはわからない快感、自己満足。それに対価を払う。でもそれは、他人の目からすれば得られるものと対価とのバランスがまったく取れていない。

バカじゃないかと思われる行為なんですが、本人にとっては十分意義のある行為なんです。だって、その人はそうしたいんだから。そうすることに100円の価値があるんだから。場合によっては3億円の価値があるんだから。

人の価値観はそれぞれなんです。個人個人で異なる価値を、強引に一本の数直線上に乗せたのが、貨幣。ゴッホのひまわり53億円。モネの睡蓮46億円。じゃあ、ゴッホのひまわりのほうが上なんだね。資本主義経済とはそういう乱暴な世界観であるわけです。

さて、前置きばかりが長くなりましたが、いよいよAKB48です。

一般にはAKB48は、金の亡者秋元康氏が編み出した、ファンからお金を巻き上げる悪辣なビジネスモデルと言われています。

いわゆるアンチAKB48の人たちは言います。

それほどかわいいわけでもない。
それほどいい歌でもない。
それほど歌唱力があるわけでもない。
それほどダンスがうまいわけでもない。
それほど気の利いたことがいえるわけでもない。

なんでこんな子たちに、ファンはたくさんのお金を使うわけ?

もっともな意見です。

が、視点を変えてみれば、そんなことを言う人は、貨幣価値の奴隷であるという見方もできるんですね。

AKB48のファンにとって「かわいいかどうか」「いい歌かどうか」「歌唱力があるかどうか」「ダンスがうまいかどうか」「気の利いたことがいえるかどうか」なんてどうでもいいこと。自分たちは純粋に彼女たちが好きなんだ。好きだから応援したいんだ。応援のひとつの形として、彼女たちのCDを買い、彼女たちの出ているCMの商品を買い、彼女たちの出ている雑誌を買うんだ。

そこに損得勘定はありません。無償の愛情。商品に対する対価を出しているのではなく、AKB48を応援したくて、「募金」をしていると見ることも出来るのです。

価値があるかどうかを冷静な目で見定めて、見合わないと判断したら対価を払わない。見合うと判断したら対価を払う。それは健全な消費者の姿勢ですが、資本主義経済に隷属した行動でもあります。

金銭的価値のないもの、役に立たないものは切り捨てる。募金なんてバカのすること。そう言った考え方のほうが「俗物」だともいえます。

金の亡者と言われる秋元康氏は、ときにこんな発言をします。「自分は永遠のアマチュア。ずっとアルバイト気分でこの仕事をやっている」。つまり、自分は高い付加価値を作り出し、それに見合った対価をもらう「プロ」ではない、と言っているわけです。

いわゆるAKB商法は、一見価値が低いと思えるものにも、これだけの対価を支払う人がいるんだよ、お金中心の社会だけれど、人間の行動原理ってそれだけじゃないよね、という秋元氏一流の皮肉なアンチテーゼと見ることができると、私は思うのです。

募金、チャリティー、ボランティア、助け合い、支援。

そういった資本主義経済とはちょっと外れた場所からものごとを見てみると、とても面白いな、と感じる今日この頃です。






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posted by ゴンザ at 06:39 | 静岡 ☔ | Comment(1) | TrackBack(0) | 小論文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
頭良いな、君
盲点を巧いこと解り易く例えてるんだな

秋元康は商売の天才
ゴンザ、君は視点・論点を説く天才

じゃあ俺は何だと思う?
対象の思考・心境・意図の読解・把握が人一倍上手い天才さ
Posted by ドルジ at 2011年06月07日 13:17
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