今日はちょっと真面目なお話を。
「あるある大辞典II」のデータ捏造問題が、まだまだ話題を集めていますね。おそらく他の健康・美容番組でも多かれ少なかれ、このようなことは行われていたのではないかと思います。
だいたいが「何かを短期間食べるだけで」⇒「やせる」「肌がきれいになる」「老化が止まる」などといううまい話がそうあるはずもありません。あるある大辞典のデータに関して言えば、捏造していないものについても、被験者数が3人とか5人とかで少なすぎます。
それにプラセボ効果も考えなくては。プラセボとは偽の薬のこと。何の効き目もない薬でも暗示を与えられれば効き目が現れる、という現象です。
「あなたはやせるはずだ!」という情報を与えられて1週間も過ごせば、「普段どおりの生活」と言ったって必ず無意識のうちに間食を避けたり、少し余計に身体を動かしたり、おなかに力を入れてたりするもの。そうすれば1キロくらいは一時的に体重が減してもおかしくはないんですよね。
まあ、そんな自然科学的なことは、いまさら私が言ったりすると、自然科学系の人に「当たり前だろ」と鼻で笑われてしまいますね。
じゃあ、ゴンザが専攻していた情報社会学の側面からすると、この問題は結局のところ「情報の大量生産・大量消費」の問題なのだろうな、と思います。
「大量生産・大量消費」というと「モノ」の問題がまず浮かび上がります。資本主義の競争の中で、大量にモノをつくり、大量に消費させ、そしてコストをさげるために無理をする。その無理が品質に影響し、三菱自動車や耐震偽装、雪印乳業・不二家のような事件となって現れます。
この「モノ」の生産・消費のひずみの問題が、「情報」にも現れたのが「あるある大辞典問題」なんですね。美容・健康・ダイエットという魅力的な情報の「消費」をみんなが求める。制作会社は週1回という短いサイクルでその「生産」を求められる。しかし、思ったような魅力的な情報が揃わない。
そうなると、品質を落としたものを提供するしかなくなる。品質を落とした「情報」とはつまり、取材が足りないもの、深く調べていないもの、検証をしっかりしていないもの、構成を練っていないもの。エスカレートすれば、結論ありきの我田引水・牽強付会ともいえる強引なものとなり、虚偽の捏造情報となるわけです。
かつてのNHKの看板番組「プロジェクトX」がきれいな終わり方ができなかったことも、根っこにはこの情報の大量生産・消費の問題があるといえるでしょう。「いい話」「泣ける話」すらも大量生産が求められる。しかも短期間・低コストで。そのひずみが「事実と異なる」という批判を浴びての幕引きにつながってしまったといえます。
お笑いの世界にも、この問題があります。エンタの神様。あの番組を決して悪いとはいいませんが、笑いという情報における大量生産・消費の番組と私の目には映ります。新ネタ・新ネタ・新ネタ。新人・新人・新人。
本来、漫才やコントなどのネタはいくつものステージを経て細かい点を修正しつつ練られていくものであって、週に1個作っていけるようなものではありません。それを強要されている若手芸人のネタは、だんだんと雑なものになっているように思います。
情報にも品質がある。情報を生産するに当たって、無理をすればその品質は落ちる。時にその品質の劣化は、モノの品質の劣化以上の悲劇を生む恐れすらある。
もっと面白いものを! もっと役に立つものを! もっとわくわくするものを! と求めるのも、ほどほどにせにゃいかんのだろうなあ、と古典落語なぞを聞きながらつらつらと考えるゴンザなのでありました。
2007年02月06日
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流石ゴンザさん。
しばらく前にスーパーマーケットに買い物に行ったら2日連続でそのコーナーが空っぽだったので、
『何故無いの?』
と店員さんに尋ねたら、
『テレビ番組で云々…』
と聞き、
『食べたかったのに〜(;_;)皆テレビに影響されすぎ!(`ヘ´)』
と思いながら帰ったのでした。
主体性の無い私にはある意味良い教訓でしたが(笑)
検証は大事ですね〜。
「ほら、こんなに変わった」って見せられたら素直に「おぉ!」って思ってしまいませんか?
でも…確かに毎週のように「これだ!」って出されたら
「この間は○○」って言ってたくせに…って思いはありましたけどね。
これだけ情報がいっぱいある中で、正しいものを見極める目…養えるのだろうか?