今回は800字小説。編集部から提示された3つのお題を全て使って、一編のショートショートを書き上げるものです。この時の3つのお題は「水曜の朝/映画館で/お父さんが」というものでした。ごちゃごちゃした解説は後に回し、さっそく本編行きましょう。
【800字】映画の娘 (2003-11-03 17:14:28)
text: ゴンザ
<お題:水曜の朝/映画館で/お父さんが>
客席に足を踏み入れて、喜乃は効きすぎの冷房に身震いした。羽織るものを持ってくるんだった、と後悔しながら、座席に身を沈める。同じ列に他の観客はいない。水曜朝の映画館、空いているのは当たり前だ。
手元のチラシに目を落とす。「平日午前の特別企画・珠玉の小品をあなたに」。
1ヶ月の間、曜日ごとに決められた短編が上映される。喜乃の目は、水曜の作品の主演女優名に引き寄せられた。
山本静乃。喜乃の母。
母が若い頃女優だったことは聞いていた。だが、子供だった喜乃がそのことを尋ねても、静乃は話してくれなかった。父のことを含めて、母は自分の過去を全く娘に語ってくれなかった。
逆らいがたい空気をふわりと発しながら、
「どうでもいいじゃない、そんなこと。」とおっとり微笑む母の姿。
それはまるで白い炎のようだった。
母の過去は、母が亡くなってから喜乃のもとに集まるようになった。10代から舞台で活躍していたこと。実家とは断絶状態だったこと。今の喜乃と同じ歳に1本の映画に出演し、それを最後に引退したこと。そして喜乃が生まれたこと。
「相手はその映画の関係者に違いねえ、って親父が怒鳴ってたよ。」葬儀で初めて会った叔父は、へらへら酒を飲みながらそう言っていた。
そして今、その映画が喜乃の前で動き出そうとしている。父が映っているかもしれない映画。父が撮ったのかもしれない映画。自分はここに父を求めているのだろうか。
喜乃自身にもよくわからなかった。
銀幕が光る。まぶしさに目を細めた喜乃の前で、女が振り返った。彼女はおっとりと笑った。
あの白い炎を身にまとって。
お母さん……。
母は、美しかった。母がまとう炎の美しさを、この映画は十分にとらえていた。フィルムが母を愛していた。
……ああ、そうか。
そうだね。この映画が私のお父さんなんだね。私はお母さんとこの映画の間に生まれた娘、喜乃なんだね。
銀幕の母は笑った。
「どうでもいいじゃない、そんなこと。」
【終わり】
<自分で解説>
えーと。ゴンザにしてはめずらしく、変なトリックや技巧は使わずに、お題に正面から取り組んだお話です。どうも書いてて照れるんで、あまりこういう雰囲気の作品は作らないんですが。
けっこう編集部の評価は高かったらしく、質の高い作品が多かったこの時の募集で、第一席ともいうべき「公式メルマガへの全文掲載」に採用してもらえました。
ただ、書いた時点でこの話を自分が気に入っていたか、というとそうでもなく、よくわかんないなあ、と思ってました。けっこういいんじゃないか、と思えるようになったのは、メルマガに載った後、自分で何度も読み返してみてからです。
全体的な雰囲気はこれを書くちょっと前に読んだ『光の帝国』(恩田陸)
お題の「お父さん」を直接登場させないで影の存在にするというあたりが、やっぱり変なひねり方をする私らしい設定ですね。むしろ話としては「お母さんが」になってます。
なんとなくこのお話はちょっと時代がかった感じにしてます。フィルムもカラーより白黒のイメージ。原節子さんが出てくるような。登場人物の名前もあえて古風なものをつけています。静乃と喜乃。
そして一つ隠れ要素が。喜乃は「よしの」と読んでもらってよいのですが、その裏にあるのは「キノ」という読み方。ドイツ語の「Kino」。英語で言うと「Cinema」。つまり「映画」です。
娘に「映画」という意味の名前をつけた母の心は?
まー「そんなのわかるか!」という暗示なのですが、こういう言葉のイメージを重ね合わせていく遊びが好きなんですね、私は。
ストーリー的なことで言えば、800字だけで「母の一生」を多少なりとも描き出すために苦労した覚えがあります。凛とした印象を作り出すための「白い炎」。実家との関係を端的に表すための「葬儀での叔父さんの言葉」。母の人生観を垣間見せるための「どうでもいいじゃない、そんなこと。」
短い言葉だけで、いくつかの複数のイメージをわきあがらせるように工夫することの難しさを感じたお話でした。そして、こういう文学っぽいのも、自分に書けないわけではないんだな、と自分自身を少し意外に思ったお話でした。

